全盛期の関東連合を語る上で欠かせない「トーヨーボウル事件」。
2000年5月13日に東京都大田区池上に存在したボウリング場「トーヨーボウル」(現在は閉店)の駐車場で、ダンスの練習をしていた集団が関東連合に襲われた事件です。
関東連合は集団を敵対するグループと勘違いし、その中で逃げ遅れた1人に対して酷い行為を行い、最終的に勘違いされた方は亡くなってしまいました。
今日は、トーヨーボウルが起きた背景と、その後について書いてみたいと思います。
トーヨーボウル事件の内容と被害者。暴行の全貌が衝撃!
2000年5月13日夜、トーヨーボールの駐車場でダンスの練習をしていた18歳の少年が、暴走族に連れ去られ、激しい暴行の末に死亡した事件。
対立する暴走族の人間と誤認し、何の関係もない18歳の少年を集団で撲殺したというものです。
事件当時の関東連合は、暴走族組織「全日本狂走連盟」(全狂連)と抗争中でした。※トーヨーボール事件と同日に別の場所でも奇襲事件が起きています。
関東連合という組織については別記事で詳細を書いています。
全狂連の関係者らを報復目的で襲撃すべく、5台の車などに分乗してトーヨーボール付近で探索。
そこでトーヨーボールの駐車場でダンスの練習し談笑していた被害者ら集団を発見。
関東連合は被害者を全狂連の関係者と誤認し、狙いを定めます。(※被害者は全狂連以外の暴走族とも関係もない食品販売会社の社員として働いていた18歳の少年でした)
午前1時15分頃に約20人関東連合のメンバーらは金属バットなどの凶器を持って襲撃しました。
逃げ遅れた1人が停車中の車を取り囲まれ、車を急発進させて20メートルほど後退さすも、恐怖から焦りガードレールに車の後部を乗り上げ、停車。
メンバーらは一斉に被害者の車へ襲いかかり、金属バットなどで車の窓ガラスを叩き割り、ボンネットを乱打し、運転席側のドアをあけ、被害者の少年を外に引きずり出しました。
関東連合メンバーは金属バットで殴り、殴る蹴るの暴行。マグライトで意識を失い連れ去られる
被害者の少年を車の外に引きずり出したメンバーらは、少年の頭部、背部、腰部を金属バットで殴打するなどの暴行を繰り返しました。
メンバーの一人が「らちれ!」と大声で指示すると、自分たちの車に乗せようとし、少年は「勘弁してください、やめてください、お願いします、帰してください」と叫ぶも、拒否。
自分たちの車に少年を押し込もうとするも、少年はガードレールにしがみついて抵抗。
メンバーらは頸部から背部にかけての身体の枢要部を金属バットで強く殴打するなど激しい攻撃を加えられ、ガードレールから離れ、車まで連行。
後部座席のドアから押し込まれようとする被害者はここでもさらに抵抗。
左の頬を右手拳で殴られた上に別のメンバーが膝蹴り。
さらに別のメンバーが被害者の後頭部をマグライトで強打し、ついに意識を失い連れ去られます。
世田谷市場で路面に頭打ち、エアガン発射、バケツで水、ライターで炙る、舌切り。
被害者を車に乗せたメンバーらは、警察による検挙から逃れるべく、5台の車と2台のオートバイなどに分乗して移動。
現場から約15キロ離れた世田谷区の東京都中央卸売市場「世田谷市場」に連れて行き、ここでも暴行。
被害者を車から引きずり下ろし、意識を失っている被害者の前額部を路面に数回打ちつけ、大型のエアガンを連射し腰に命中させました。
その後もバケツで水をかけたり、身体をライターであぶる、ハサミで舌切りなど非道な暴行を続けました。
意識不明のまま病院の外に放置。応急措置も虚しく脳挫傷とくも膜下出血により死亡
被害者は意識不明の重篤な状態に陥っており、この時に一部のメンバーは流石に焦っていたそうです。
メンバーらは意識のない被害者を車の荷台に押し込み、狛江市の東京慈恵会医科大学慈恵第三看護専門学校の外にそのまま放置して逃走しました。
放置された被害者は、たまたま通りかかったタクシードライバーに発見され病院に搬送されました。
ドライバー曰く、発見した時の状態は顔も頭も人間の原型をとどめないほどに腫れ上がっていたそうです。
頭部に関してはバスケットボールサイズまでに膨れ上がっていました。
三鷹市の杏林大学医学部附属病院に搬送され、救急救命措置がとられたが、5月14日午後9時35分頃、一連の傷害に基づく脳挫傷とくも膜下出血により死亡。
病院に駆けつけた父親は息子の確認を促されますが、「わからない」と答えたほどに傷んだ状態でした。
また、エアガンで撃たれた腰と腹部には赤い斑点が残り、腫れ上がるほどの傷害が残っていたそうです。
事件後の弁償金と処罰。逮捕された有名メンバーは柴田大輔、石元太一、伊藤リオン。三田佳子の次男の車
トーヨーボウル事件に参加したのは20人で、手を出したのは14人でした。
年齢層は広く、10代の少年から26歳の大人まで混じっていたそうです。
首謀者は関東連合の元リーダー石元太一さんです。
主犯格には柴田大輔や、海老蔵事件で有名になった伊藤リオンさんも含まれていました。
伊藤リオン氏に関しては別記事で詳細を書いています。
舌を切る、頭をライターで炙るなどの異常な暴力行為を行ったのは柴田さんがメインとの情報もあります。
また、ネット上には女優三田佳子の次男である高橋祐也との関係が疑われています。
その理由としてはトーヨーボール殺人事件で犯人グループに三田名義の車が使用されていたからです。
三田佳子は記者会見で次男高橋祐也の関与を否定します。
その後に次男・高橋祐也は覚せい剤取締法違反で4回も逮捕されたことから、かつてのトーヨーボウルの車両問題が再熱し、関東連合との仲が掘り起こされました。
伊藤リオンと石元太一は弁償金500万を即入金。その他100万を入金するメンバーや逃げて音沙汰ないメンバーも
手を下した多くが少年法で守られる10代で、懲罰は特別少年院に1、2年ほど入れられる程度でした。(関東連合の計算の元、暴行は少年メンバーにやらせたのでしょう)
被害者の父母は、関東連合関係者11人を相手取り、損害賠償などを求め訴訟。
判決の結果、東京地裁は2005年7月25日にメンバーら11人に対し被害者の父に約2067万円、被害者の母に約1716万円を支払うことなどを命じました。
伊藤リオンさんと石元太一さんは500万をすぐに入金し、被害者の父は伊藤リオンさんに関しては真摯に反省しているとのことで、彼の人間性を称えています。
ただ、その他のメンバーは100万だけ払って、”残りは大人になって働いて返す”、もしくは音沙汰なしという対応でした。
関東連合と全狂連の抗争。被害者を間違えた理由はダンス=アメカジ?
この事件の一番の疑問は、なぜ関東連合は被害者を抗争してるチームのメンバーと間違えたのか?ということです。
当時の関東連合が対立していたのは、”全狂連(全日本狂走連盟)”という1970年代の前半から有名だった暴走族です。
所属してるチーム名から分かり通りに、おしゃれ意識の高い連合であり、当時のメンバーの写真を見ても特攻服や坊主頭は1人もいません。
ヤンキー漫画の「爆音列島」のモデルになっており、それは作者の高橋ツトムさんが全狂連出身だからとのことです。
旗揚げは神奈川の湘南七里ヶ浜でしたが、抗争当時の拠点は城南地区の品川や五反田、大崎など東京の山の手を拠点に活動していました。
全狂連は昔から宮前愚連隊(関東連合)と激しい縄張り争いをしており、事件が起きる2000年より3年前の1997年7月7日には死者が出るほどの抗争を起こしています。
暴力団員が愛車を傷つけられ友好団体・関東連合が犯人探し
このトーヨーボウル事件では、暴力団員(住吉会堺組)の原田英俊さんも逮捕されています。
実は、事件の発端は原田氏が自分の愛車を敵対する組織(全狂連ら?)にボコボコにされたことなのです。
当時の原田氏が組長代行で所属していた堺組は、関東連合と関わりの深い組織で、日頃から招集されては手伝いをさせられていたそうです。
逮捕された石元太一さんは10代を回想して「毎日先輩からのヤキが怖くて緊張していた」と述べています。
石元太一さんの詳細については過去に書いています。
捕まった際に何も怯えずにぐっすり寝れと語るなど、関東連合メンバーが集団圧力に狂っていたことが伺えます。
この時も関東連合のメンバーを招集して、自分の車をボコボコにした犯人を探していたのです。
そこでトーヨーボウルの駐車場にいたダンスグループを発見し、「とりあえず締めるか」と襲撃し、取り残された1人が犠牲になったということです。
被害者のダンス系のファッションが全狂連の一部組織に似ていた?暴走族との付き合い説
ダンス集団が間違われた理由には、全狂連に加入してる組織の中におしゃれ意識の高い集団がいたこと。
そして、ダンス系の彼らが誤解されたのでは?との見方があります。
一部ネットでは被害者は一般人の真面目な寿司職人見習いだった他、学生時代にやんちゃな付き合いもあったとの説もあります。
殺害されたのは樺沢氏の後輩で大田区蒲田の鍾馗(しょうき)って族と一光会ってチームと仲良かったけど無所属だった。
ダンス集団は関東連合に襲われた際、各々が車などで逃走しましたが、集団が乗っていた車がチャラチャラしていて紛らわしかった可能性もあります。
基本的に間違えた人を襲うのは、原田氏や関東連合にとってはメリットが1つもないので、悪意があって人間違えをしたというわけではありません。
ちなみに、その後に紹介された全狂連は相変わらずおしゃれでした。
現在では暴走行為とかはなく、厳しい規則のないグループに変わり果てているそうです。
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