朝青龍事件の真相。関東連合の川名を殴り引退。ケツモチ同士が喧嘩?

著名人の傷害加害

朝青龍といえば、2000年代に活躍した歴代最強とも言われる力士です。

2010年1月に30歳の若さで突然引退を発表すると、その経緯に注目が集まりました。

私生活の素行が問題での引退となりましたが、決定打となった暴行事件は話が複雑で、未だにハッキリと解釈できてない方も多いようです。

今日は、朝青龍さんの引退の引き金になった2010年に起きた「朝青龍事件」について書いてみたいと思います。

朝青龍の暴行報道と引退発表までの大まかな経緯

朝青龍が事件を起こしたのは2010年1月の場所中の16日。

港区六本木のクラブで高級クラブで飲んでいた朝青龍は、悪酔し従業員に乱暴な振る舞いをし、その挙句にお店の幹部に手を出して怪我をさせてしまいます。

当初、週刊誌では暴行を受けたのはマネージャーだと報じられました。

1月25日に相撲協会から厳重注意の処分が出ると大手メディアも反応。

その後の週刊誌で暴行を受けたのがマネージャーではなく一般人であると発覚すると、相撲協会は2月1日に調査委員会の設置を発表。

2月4日に横綱審議委員の委員長からは横綱として初の「引退勧告書」が提出。

同時に朝青龍は事情聴取を受けた後に責任を取る形で引退することを発表しました。

3月場所では横綱・朝青龍の四股名は完全消滅し、その時点での横綱は白鵬ただ1人となりました。

7月に正式に警察から傷害の疑いで書類送検。

10月にモンゴルの大統領や、森元総理、各界VIPを招いで断髪式が行われました。

朝青龍引退までの出来事を時系列でまとめ

2010年1月16日 場所中の16日泥酔してマネージャーに暴力を振るったと写真週刊誌に報じられる。
1月25日 日本相撲協会の武蔵川理事長から厳重注意処分
1月28日 週刊誌に暴行を受けたのはマネージャーではなく一般人であると報じられた。
2月1日 新理事会で調査委員会の設置が決まる。この時点で被害男性が関東連合・川名と発覚。
2月〜 協会からは解雇や長期出場停止を求める厳しい意見が殺到。
2月4日 日本相撲協会の理事会で事情聴取を受けた後、暴行問題の責任を取る形で現役を引退することを表明。メディア各社で大きく報道される。
2月4日 横綱審議委員の委員長からは横綱として初の「引退勧告書」が提出される。
3月〜 横綱・朝青龍の四股名は完全消滅し、東横綱に白鵬ただ一人の名前が記される。
7月9日 警視庁に傷害の疑いで書類送検される。
10月3日 両国国技館でモンゴル国首相のスフバータル・バトボルド、元首相の森喜朗、横綱の白鵬ら約380人が鋏を入れ断髪式が行われる。

実は2010年に引退した朝青龍は勝ち組?良い時期に退き若くして実業家として成功

朝青龍さんは、引退騒動が起きる手前、2010年1月場所で日馬富士を下して、2場所ぶり25度目の優勝を果たしました。

しかし、千秋楽結びの一番では、白鵬に寄り倒されて13勝2敗の成績となり、本割での白鵬戦は7連敗、横綱同士での対戦成績としてはワースト記録に並ぶなど、全盛期の終わりが囁かれていました。

元々、2000年代の最強像から後退し初めていた時期だっただけに、実は30歳での引退はちょうど良かったのでは?との声も多くあります。

また、朝青龍は引退後もメディアの仕事が殺到し、地元では英雄で多くの委員会で肩書きを貰い、実業家としても成功していることから、理想的な力士の余生を過ごしていると羨ましがられています。

暴行事件から断髪式までの経緯だけをみてると悲惨ですが、時間が経って振り返ってみると、実は勝ち組であることがわかります。

関東連合・川名は朝青龍が多額の示談金を狙うも返り討ちで約半額1500万で手打ち

2010年1月に引退の決定打ともなる暴行事件を起こしてしまった朝青龍。

引退騒動までに発展した一件ですが、実は水面下で被害男性が示談金を狙って動き、お互いのケツモチ同士で話し合いの場が持たれるなど、複雑な側面を持った事件でした。

その背景は、週刊誌にも報じられていました。

暴行事件を起こしたお店は港区六本木にあるクラブ「フェリア」です。

このフェリアと言うお店は、当時の六本木の中でもイベントが多彩な大箱で、常連客には芸能人やスポーツ選手がいました。

店前の雰囲気から海外っぽい、非現実的な空間でした。

ホテルのロビーのようなフロント、地下から地上3階の大規模なお店で、レストランやスカイバーを備える夢のようなお店でした。

実はこのお店の経営者は関東連合の元リーダー・川名毅さんでした。

関東連合という組織の詳細については別記事で書いています。

関東連合とは?メンバーと関わった事件まとめ。生年月日と所属を整理
2000年代からメディアで頻繁に名前を聞いた「関東連合」。 どんな組織なのか調べてみると、メンバーの所属していたグループ名がバラバラだったり、年代が違うのに計画を共にしていたり、訳が分かりません。 今日は、改めて関東連合とは何だったのか?、...

※厳密には川名氏は見立真一世代中心の近代の関東連合とは少し違います。

そして、朝青龍が怪我をさせてしまった相手も経営者・川名毅さんでした。

朝青龍はお店でお酒に酔って従業員に非礼な態度を取り、そのまま強制退店。

退店する際に、経営者の川名氏に今後の来店を控えるように言い渡された際に、荒ぶって店内で暴れまわり、川名氏を自分の車の中に拉致監禁し、顔面を殴って鼻の骨を折る全治1ヶ月の大怪我を負わせたのです。

※怪我の状況については、横野レイコの「朝青龍との3000日戦争」にて朝青龍の払った手が男性の鼻に当たって骨折しただけで、”殴られた”は言いがかりだったなど綴られているなど諸説あり。

きっと、フェリアは朝青龍さん的にお気に入りのお店で、そんなお店から出禁を食らったことがショックだった感情も含まれていたと思われます。

川名氏はあえてそのまま警察に被害届を提出せずに、朝青龍相手に多額の示談金を狙おうと試みます。

裏稼業でも手腕を発揮していた川名さんらしい、反社会的な発想ですね。

朝青龍に3000万以上の示談金を請求するつもりだった川奈毅。相手バッグが大物で1500万にお値引きされる

川名毅さんは若い頃からの関東連合での半グレ活動と、成人後に港区界隈で築いた人脈から強力なケツモチを抱えていました。

それだけに、朝青龍から大きな示談金を取ることは安易だと考えていたそうです。

当時の朝青龍は場所で優勝した後、近年押され気味だったライバル・白鵬から形成逆転が狙えそうな時期でした。

川名氏はそんな朝青龍が事件化になって引退になることは避けたいはずと、常識では考えられない示談金を請求したのです。

川名氏が朝青龍に請求した示談金は諸説あり、少なくても3000万、多くて1億という説があります。

川名氏は自身の人脈を駆使して、暴力団関係者の力も借りて朝青龍に追い込みをかけようとしました。

しかし、朝青龍の「タニマチ(支援者)」も川名氏のケツモチ以上に大物揃いだったのです。

朝青龍サイドは示談金交渉の席に、裏社会の大物を連れていき、その面子に面食らった川名さんは、予定していた請求額を推すことができませんでした。

結局、朝青龍サイドの提示した1000万円から2000万円ほどの示談金で決着がつく事になったのです。

朝青龍が引退する流れにタニマチが川名毅に激怒。「朝青龍を引退させないでください」と協会に嘆願書

朝青龍から巨額の示談金を取ろうとした、川名毅さん。

多額の示談金が取れると思った理由の1つに、”朝青龍は絶対に引退したくないと考えている”との想定の元、川名氏が被害届を出す出さないかは大きな脅しになると考えた為です。

実際に、朝青龍が川名氏に支払った1000万〜2000万の示談金は、川名毅氏が狙っていた金額よりも少額ではありますが、相場よりも高額でした。

しかし、朝青龍が殴った相手をマネージャー偽って報告したこと、一般人に怪我をさせたことが表に出た時点で、相撲協会が引退勧告を出すという、川名氏にとっては想定外の動きがあったのです。

これによって、朝青龍側は1000万〜2000万の示談金を川名毅氏に払っただけでなく、結局は引退までする状況になり、タニマチらは川名氏に激怒したのです。

朝青龍さんのタニマチに追われることになった川名毅さんは、しばらく身を潜めたそうです。

そして、川名さんは相撲協会に「朝青龍を引退させないで」と嘆願書を出すなど、事態回復に努めていたとのことです。

最終的にはほとぼりが冷めるまで海外などに逃亡し、その後は極秘に帰国し、以前と同じように豪遊する姿が目撃されるようになりました。

川名さんはその後、2015年に傷害事件を起こし、朝青龍事件の現場となったフェリアも閉店となり、六本木での消息は不明となっています。

余談の小ネタ。川奈毅は見立真一(指名手配犯)に朝青龍の件を相談していた?

朝青龍から示談金を受け取ろうとした川奈毅さんですが、実は示談の前に同じ関東連合の見立真一さんに相談していたようです。

見立真一さんというのは、2012年の「六本木クラブ襲撃事件」の首謀者で、現在は指名手配犯です。

詳細は別記事に書いています。

見立真一(関東連合)の生い立ちと仕事歴。衝撃の妻子持ちや69の噂
見立真一さんといえば、2012年に発生した「六本木クラブ襲撃事件」の主犯格であり、現在までに逃亡を続けてる重要指名手配犯です。 伝説の組織・関東連合において、重要幹部として、長年裏社会を仕切ってきたアウトローの頂点でもありました。 今日は、...

川奈さんが見立氏に相談していた事実は、後輩である石元太一氏のブログの中で触れられていました。

そもそも、朝青龍事件では当事者の関東連合OBから相談を受けた見立真一は、示談などで蓋をするつもりは毛頭なく、全く別の方針を打ち出していた。

それを当事者の関東連合OBが勝手に示談に走り、ちゃぶ台をひっくり返したというのが事の顚末だ。引用:2022年3月22日

相談した際、見立氏は示談ではない作戦を提案したらしいのですが、川奈さんはそれを聞き入れずに示談に進んだそうです。

あのような結果になった今、その時に見立真一さんがどのような提案をしていたのか気になりますね。

 

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