関東連合とは?メンバーと関わった事件まとめ。生年月日と所属を整理

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2000年代からメディアで頻繁に名前を聞いた「関東連合」。

どんな組織なのか調べてみると、メンバーの所属していたグループ名がバラバラだったり、年代が違うのに計画を共にしていたり、訳が分かりません。

今日は、改めて関東連合とは何だったのか?、基本的な情報をまとめてみたいと思います。

有名なメンバー、過去に起こした著名な事件なども一覧にして整理してます。

関東連合の創立は1973年。一度は弱体化するも復活して都内で一番の組織になる

関東連合は東京都の世田谷区や杉並区の暴走族の連合体として1973年に結成された組織です。

本来は、世田谷区や杉並区以外でも、東京の新宿より西に広がる新宿、武蔵野、西東京、東久留米、久留米、小平、国立、国分寺、東村山、東大和、武蔵村山辺りの出身中学者で形成された暴走族でも該当します。

しかし、「関東連合所属」と形容されメディアやニュースに登場された方は杉並区か世田谷区の出身者ばかりで、世田谷区や杉並区の暴走族との認識がほとんどです。

また、土地柄なのか、貧困層よりも中流階級の出身者が多いのも特徴です。

不良の世界にも生まれや育ちで結束される組織があって、そこが不良のトップを張ってたと考えると、表社会の図式と変わりないということですね。

関東連合だと言われることの多い組織は以下のようです↓

組織名 有名なOB
宮前愚連隊 柴田大輔
用賀喧嘩会 田丸大
千歳台ブラックエンペラー 石元太一。伊藤リオン。
鬼面党 西山友紀
小次郎 川名毅
永福町ブラックエンペラー 見立真一
新宿十二社蛇女(メデューサ) 邑井祐介

結成当初は会長を置き幹部会議を開くなど基礎活動があったものの、1980年代の中頃から1990年代にかけては求心力を失い、その後のチーマーブームに流される形で弱体化されていました。

80年代の後半から「小次郎」が関東連合復活を掲げて気合を入れ直し、90年代には見立真一さん率いる永福町ブラックエンペラーが暗躍し、見事に都内No. 1の組織に返り咲きました。

見立真一さんが永福町ブラックエンペラーで活躍していた時期は、上の世代が一気に逮捕されていた為、後世に語り継がれる関東連合の基礎は見立氏が作り直したと言われています。

関東連合の厳しいルール。女厳禁で規定外の脱退はヤキ

都会的なイメージのある関東連合ですが、所属していたメンバーの証言から、厳格なルールがあることが分かっています。

永福町ブラックエンペラーに所属していた松嶋クロス(松嶋重)さんは、当時の髪型について坊主かニグロパンチしか許されず、3週間に一度は当て直さなければいけず大変だったと回想してます。

また、ノータックのスラックス、革靴は白か黒、同類以外と遊ぶのは厳禁、高校に通うのも禁止でした。

千歳台ブラックエンペラーに所属していた石元太一さんは、彼女NGの女人禁制、薬物禁止、18歳で卒業でそれ以前に抜ける者は制裁受けるなどのルールがあったことを語っています。

チーマー勢を一掃して時代を取り戻した関東連合ですが、厳格な規定に従っていたことで、チャラチャラした格好で女性や薬物のトラブルばかり起こすチーマーへの敵対心が芽生え、強い結束に繋がったと言われています。

まるで、野球の強豪校によく言われる「自分らはこれだけ我慢したのだから負けることが許されない」やらの理論と同じですね。

関東連合が起こした有名な事件一覧

事件名 発生時期 内容
五反田七夕100人乱闘事件 1997年7月7日 品川区や大田区を拠点とするグループが関東連合系に襲われ乱闘騒ぎ。死者や重症者が出た事件。
トーヨーボウル事件 2000年5月13日 敵対するメンバーと間違えた一般人を、駐車場で暴行を加え、被害者がその後に命を落とした事件。
練馬事件 2000年夏から冬頃 関東連合が敵対する練馬連合のメンバーを刺殺した事件
西新宿事件 2008年3月16日 対立するグループとの抗争が激化し、関東連合側の1人が相手に襲撃され亡くなる事件。
海老蔵事件 2010年11月25日 西麻布で俳優・市川海老蔵が関東連合側を煽り、激昂したメンバーが海老蔵を暴行した事件。
朝青龍事件 2010年1月頃 飲食店で悪酔いをした朝青龍が店から追い出され、その際に関東連合の幹部に暴行。巨額の示談金を狙うも朝青龍のケツモチが強くて値切られた事件。
六本木クラブ襲撃事件 2012年9月2日 関東連合のメンバーが、六本木のクラブで敵対する相手と誤認し集団で襲撃し、一般人が亡くなった事件。

関東連合の有名メンバーの名前と年齢。所属先の詳細一覧

名前 生年月日 所属 関与した事件
川名毅 S45~46。1970~1971年 上町小次郎。三軒茶屋愚連隊。 朝青龍事件
田丸大 S52。1978年 TOP-J。用賀喧嘩曾。
松嶋重 S53。1978年7月19日 永福町ブラックエンペラー
邑井祐介 S53。1978年6月9日 新宿十二社蛇女(メデューサ)
小池幹士(佐藤) S53。1978年 永福町ブラックエンペラー 六本木クラブ襲撃事件
國田正春 S53。1978年 永福町ブラックエンペラー 六本木クラブ襲撃事件
富沢哲也 S53。1979年 永福町ブラックエンペラー
見立真一 S54。1979年3月6日 永福町ブラックエンペラー 「六本木クラブ襲撃事件」
柴田大輔(工藤明夫) S54。1979年5月24日 宮前愚連隊 「五反田七夕事件」「トーヨーボウル事件」
大嶽正史 S54。1979年6月10日 宮前愚連隊
百井智志 S55。1980年1月18日 宮前愚連隊
石元太一 S56。1981年12月13日 千歳台ブラックエンペラー 「トーヨーボウル事件」。「海老蔵事件」。「六本木クラブ襲撃事件」。
伊藤リオン s58。1983年 千歳台ブラックエンペラー 「トーヨーボウル事件」。「海老蔵事件」。

引退してからが本番?OBになっても潜在的な繋がりが残る

関東連合の一番の特徴は、成人後も先輩後輩問わずに強い繋がりを持ち続けることです。

規則的なルールがあるわけでもなく、強制的参加の行事があるわけでもないようです。

まるで慶應義塾大学の三田会のような、潜在的な意識として、自然と集まり、お互いに助け合うのです。

港区で飲食店を経営していた元暴露系YouTuberの東谷氏(ガーシー)さんは、関東連合と接点があった際に、メンバーの一声で数分以内に大人数がお店の外まで囲ったという異様な一幕を目撃し震えたと語っていました。

関東連合の活動エリアで目をつけられたら終わりという風潮が長くありました。

その反面、暴露本を出したOBの柴田氏は、「関東連合は1人では喧嘩ができない」と、勝てれば何でも良い体質を魅力的に思わなかったとも語っており、そのやり方は内部者の中でも賛否両論あったようです。

”半グレ”象徴。コミニュケーションお化けの集まり。実業家や芸能界とも交流

現在では当たり前のように使われる”半グレ”という言葉も、関東連合関係の報道から一般化され、半グレの元祖であり象徴的な存在でした。

関東連合のOBには経済的に成功された方が大勢おり、彼らに憧れるケースも目立ちました。

現に、雑誌のスナップに関東連合のメンバーが使われるなど、現在ではあり得ないような事例もありました。

港区を中心に、実業家や芸能界ともパイプを持ち、人間関係は華やかでした。

表舞台で華やかな付き合いをする一方で、裏では00年代に流行った”振り込め詐欺””オレオレ詐欺”などを家業にして大儲けしていました。

特に改正暴力団対策法や暴力団排除条例の影響下これまでに暴力団がしのぎにしていた稼ぎを多く受け継いでいたとのことなので、その集金力は凄まじかったと言えます。

その他にも違法クラブ経営、闇金関係、詐欺全般に関与するメンバーもいました。

一般人に恐怖を与え続けるも2012年の「六本木クラブ襲撃事件」で崩壊。

00年代から関東連合絡みの事件が多くメディアで報道され、関東連合への恐怖心は一般人の中にも刷り込まれていました。

実体がなく瞬間的に団結して襲いかかる、一般職にも入り込み、裏では情報を集めて詐欺を働いているなど、報道から分かる範囲だけでも圧倒的に怖かったです。

警察の取り締まりが難しい状況だったために、暴力団が仕切ってた時代の方が安全だったのでは?という声までありました。

関東連合メンバーそれぞれが裏社会で人脈を構築し、大人になってから縁を持った仲間や舎弟も関東連合の一部として数え、関東連合のために動く人の数は警察も把握しきれない状況でした。

2012年に起きた関東連合幹部が首謀した「六本木クラブ襲撃事件」では、逮捕された18人の内、半分以上が関東連合のメンバーではありませんでした。

ただ、この2012年の事件で関東連合の頭脳と足になる核が逮捕&指名手配で失われ、組織は破滅状態となりました。

2012年の事件後に港区の勢力図がガラッと変わるなど、元々与えていた影響の大きさが露呈しました。

当然、関東連合が崩壊したことへの安堵の声も多くありました。

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