川奈毅(関東連合)の現在までの事件と仕事を整理。六本木の王として芸能人と交友

アウトロー

川奈毅(読み:つよし)さんといえば、元関東連合のリーダーで、2010年に朝青龍が引退に追い込まれた暴行事件の被害者として有名です。

港区界隈では、朝青龍事件を起こすより前から有名人でした。

ネット上では川奈さんに纏わる武勇伝や都市伝説が多くあるので、今回はそれをまとめてみたいと思います。

また、ザッと川奈さんの経歴などについても書いてみたいと思います。

川奈毅は関東連合復活の狼煙を上げたモンスター

川奈毅さんは生年月日こそは公表されていませんが、過去の事件で報道された年齢から計算すると1970年か1971年生まれです。

出身地は世田谷区ですが、出身校などの詳細は出回っておらず、他の関東連合メンバーらよりも情報管理が徹底してる様子です。

川奈さんが率いていた関東連合については別記事で書いています。

関東連合とは?メンバーと関わった事件まとめ。生年月日と所属を整理
2000年代からメディアで頻繁に名前を聞いた「関東連合」。 どんな組織なのか調べてみると、メンバーの所属していたグループ名がバラバラだったり、年代が違うのに計画を共にしていたり、訳が分かりません。 今日は、改めて関東連合とは何だったのか?、...

川奈毅さんは非常に育ちが良く、英語力などに優れていたいるそうです。

また、父親が官僚のキャリエリートで叔父は検察官だという噂があったほどに、秀才だったと言われています。

実話系雑誌「実話ナックルズ」の2010年4月号によれば、川奈毅さんは台湾にルーツを持つ華僑元々は台湾国籍で、すが、昭和50年代に日本に帰化した際、台湾国籍だった頃の通名「川名毅」から「川奈毅」に改名したと出ていました。

よく言われている経歴は、10代は不良として活躍し本職にもなる→20代から裏稼業で助走をつけて正業でも成功→港区で名を馳せて芸能人とも密接な関係→立場を使って白い粉ビジネスも続ける←というような内容です。

名前 川奈毅(つよし)
本名 川名毅(つよし)
生年月日 1970〜1971年
出身地 東京都世田谷区
身長 170センチ前後
所属 上町小次郎。松葉会。三軒茶屋愚連隊。
通称 六本木の帝王。六本木のモンスター。
仕事 飲食店経営。プロダクション経営。元ボディガード。元俳優。裏稼業(諸説あり)。

川奈毅は崩壊していた関東連合を建て直す布石となった?

川奈毅さんは10代から関東を拠点にする松葉会に入り、その傍ら関東連合加入の地元の暴走族「上町小次郎」のメンバーとしても活躍していました。

1980年代の中頃から1990年代にかけての当時の関東連合は、主力となるOBのほとんどが逮捕されていた有名無実化となっていました。

そんな時期、世田谷区上町・豪徳寺付近を拠点とした「小次郎」が「関東連合」の復興を企図し“関東連合上町小次郎”を名乗り奮闘。

小次郎に刺激を受けた、その他の関東連合の加入チームだった「鬼面党」「メデューサ」「マッドスペシャル」も“関東連合”の言葉を多様し、90年代の渋谷区を中心にブームだったチーマーたちを一掃しました。

小次郎時代の川奈さんは、一度キレると手が付けられないと言われているほどに凶暴で、周囲の暴走族だけでなくメンバーらにも恐れられていたそうです。

暴力団員をナイフで刺したり、米軍兵と六本木で揉めた際には、車で跳ね飛ばしたなどといった武勇伝も残っています。

そして、90年代の前半から見立真一氏が永福町ブラックエンペラーを復活。

見立氏の友人であった柴田大輔氏率いる宮前愚連隊と共に関東連合はさらに急成長

見立真一氏と柴田大輔氏については別記事で詳細を書いています。

見立真一(関東連合)の生い立ちと仕事歴。衝撃の妻子持ちや69の噂
見立真一さんといえば、2012年に発生した「六本木クラブ襲撃事件」の主犯格であり、現在までに逃亡を続けてる重要指名手配犯です。 伝説の組織・関東連合において、重要幹部として、長年裏社会を仕切ってきたアウトローの頂点でもありました。 今日は、...
柴田大輔(関東連合)の伝説を年齢ごとに時系列で整理[歴代最高の不良]
関東連合のトップとして長年活躍された柴田大輔さん。 2021年に41歳の若さで亡くなると、これまでの経歴の凄さが再び脚光を浴びました。 今日は元関東連合のリーダーであり、敏腕実業家、またはベストセラー作家として活躍された柴田大輔さんの生い立...

その悪名は関東で一番となり、関東連合は復活を遂げたということです。

また、川奈毅さんは悪名高い「三軒茶屋ブラックエンペラー」の後継チーム「三軒茶愚連隊」の立ち上げに関わっており、関東連合初期に貢献した功労者といえます。

三茶抗争と呼ばれる「三軒茶屋愚連隊」と渋谷のチーマーたちとの抗争では間に入り、和解交渉人の1人を務め、騒動をきっかけに渋谷の不良利権を手に入れることになり、その後の裏稼業での成功につながっています。

見立真一さんや柴田大輔氏が10代のうちは、2人は川奈さんに仕事を振ってもらったり人脈拡大に手を貸してもらうなどし、川奈さんには頭が上がらなかったそうです。

若い頃の川奈はイケメン!20歳の頃には映画に出演。一瞬だけ俳優を志す

川奈さんは1991年の20歳の頃に映画『代打教師 秋葉、真剣です!』に出演しています。

監督を務めた那須博之の意向で、リアルにチームに所属してる不良少年が採用され、出演。

俳優には出せないリアルな味を求めた結果、監督も納得の迫力を残せたそうです。

後に流出した写真の川奈さんとは全然違って、20歳の頃はシュッとしていてイケメンです。

川奈さんは出演した不良の中でも、ムードメーカーとして撮影現場でも目立っていました

川奈さんは遅刻して撮影現場に現れて悪びれる様子もなかったり、ベテランカメラマンのことを”おじさん”とか言って自分の荷物を持たせたり、やりたい放題でした。

たくさんの都内チームのメンバーが参加してる中で、これだけの振る舞いができるという点、当時から川奈さんの存在は不良界でも大きくかったことが伺えます。

テレビ特集の中でも20歳にして過去の逮捕歴が紹介されていました。

川奈氏は、この映画に出演した後に、関係者から俳優に向いているとの勧めの元、一瞬だけ俳優の活動をしていたそうです。

この作品以外に、どの作品に出演されたかは不明ですが、後の芸能界のコネクションに役立ったことでしょう。

関東連合のパイオニア。裏稼業だけでなくプロダクション経営に芸能界や政治家への人脈拡大

成人後の川奈さんは港区に進出し、裏稼業だけでなく、大人のビデオのプロダクションを手始めに芸能界、政財界の有力者相手にビジネスを展開し大金を稼ぎました。

昨今までの関東連合のパイオニア的な存在で、関東連合に仕事を教えたのは川奈毅さんだと言われているほどです。

90年代に暴走族で活動していた面々は、港区で川奈さんがリムジンを乗り回して遊ぶ姿を見て、”大人の不良”という印象で、自分らとは全くベクトルの違う存在として認識していたそうです。

一時期はK-1を立ち上げた石井館長のボディーガードを勤めていたことがありましたが、それは不良の世界のトップが近くにいるという威厳としての起用でした。

見立真一への世代交代は強引だった?川奈のビジネスに利用されたと下剋上

関東連合のトップとしては、10代だった松嶋クロス氏(当時No.2)、見立真一氏(当時No.1)に独自のルートで仕事を与え、人脈拡大を手伝うなど、組織の規模拡大に貢献しました。

しかし、川奈さんが振る仕事は、関東連合側に都合の悪い利益システムで、金銭を巡って川奈さんに不満を持つメンバーが多くいました。

特に川奈さんの窓口となっていた松嶋クロスさんは、仕事をくれることに感謝の気持ちがある一方で、”川奈にビジネスに利用されている”との認識し、ずっと我慢していたようです。

松嶋クロス氏はNo. 1の見立真一氏に「川奈との関係を断とう」と相談し、見立氏は承諾。

そして、2000年に見立真一らは六本木の喫茶店に川奈さんを呼び出し、「あんたにはもうついていけない」と決別宣言

その一方で川奈さんは、自分が関東連合に仕事を与えたこと、人脈拡大に貢献したことで”恩があるはずだ”と説得し、口の上手さから川奈側になびくメンバーもいたそうです。

見立氏は、川奈さんに寄り始めたメンバーらを見かねて立ち上がり、「お前らが文句ばっかり言ってるからこうなってんだろ、どうすんだよ、やっぱり仲直りしてまたタダ働きすんのかよ」と一喝し、空気は一変して見立側に寄りました。

見立真一氏が「こっちは割れるけど、あんたは揉める気あんのかよ?」と凄むと、川奈さんは「そんな気はない」と説得

川奈さんは見立氏を一旦落ち着かせてから話を進めようとしていましたが、見立氏は川奈さんの言葉に被せような形で「だから揉める気あんのかって!」と迫力で押し続け、半ば強制的に「分かった、これで縁を切るからな」と宣言をしてお店を後にしたのです。

ただ、この話は柴田大輔さんが出版した暴露本の内容であり、川奈さん本人のインタビューの中では、決別したのは川奈さん側だと主張しています。

川奈さんのインタビューの内容では、共同をビジネスをする中で、不良の常識を無視した彼らとこれ以上一緒に仕事をするのは無理だと感じ、彼らに「関東連合を解散させろ、もし解散させないのなら俺が紹介した仕事はやめてもらうし、紹介したルートも今後は使わせない」と言ったそうです。

そして、六本木の喫茶店で話し合いとなり、関東連合のトップの「もう付いて行けない」という言葉に対して「俺はお前らについて来いと言ったことは一度もない」と言い返し、揉めるなら「お前ら一人一人と勝負してやる」と凄んだそうです。

川奈毅さんの本人談と、柴田大輔さんの暴露本の内容では、大きく主張が食い違っています。

関東連合と決別した柴田さんが嘘を書くメリットがないことから、柴田さんの話を信じる方が多いですが、柴田さんの暴露本自体が本人都合で書かれている部分もあるのは事実なので、真相は謎のままです。

川奈毅と芸能界。プラチナプロダクション創立と薬物問題。広末涼子や北川景子との都市伝説

川奈毅さんといえば、芸能界との深い関わりが有名です。

若い頃に俳優の活動をしていた縁や、「K-1」の創始者・石井和義さんのボディガードを務めていた経緯で大物主催者と交流し、同時に芸能界へのコネクションを作り上げたと言われています。

また、後輩だった松嶋クロス(後に大人作品の監督として成功)さんに若い女性を集めさせ、大人の女優専門のプロダクション「ティーパワーズ」を設立し、このプロダクションは後の某大手芸能事務所の前身だったと言われています。

自身が支配人を務めていた六本木のクラブ「フィリア」や西麻布のクラブ「エーライフ」には芸能人のお客さんが多数来店。

そこに遊びに来る芸能人をベースにネットワークを築いていたなど、芸能界と深い関係であったことが伺えます。

ある芸能事務所は、川奈さんのお店を筆頭に、関東連合系のお店にタレントの出入りを禁止させていたとの話もあります。

芸能界と薬物問題の渦中に川奈剛がいたという都市伝説。押尾学との関係

過去に川奈毅さんが関わった事件といえば、朝青龍に殴られた事件と、タクシーのドライバーに暴行した事件の2つです。

薬物との関連に関しては、基本的にはネット上や一部週刊誌でのみ、都市伝説的に語られているだけです。

芸能界に薬物をばら撒いていたという都市伝説がある手前、川奈毅さんは得意の語学で、外国人経由の違法薬物販売ルートを確保し、北朝鮮から密輸した違法薬物を、イラン人などの外国人を駆使して売りさばいていたという噂があったのです。

↓都市伝説として、芸能人が犯した薬物問題の中で、以下の中のいくつかは川奈さんが関わっていたとのことです。

1998年 三田佳子の息子・高橋裕也の薬物事件
2000年 三田佳子の息子・高橋裕也の薬物事件2
2001年 いしだ壱成の薬物事件
2007年 三田佳子の息子・高橋裕也の薬物事件3
2009年 酒井法子の薬物事件
2009年 押尾学の薬物事件
2010年 森裕喜コンビニ事件
2019年 沢尻エリカの薬物事件。※10年以上前から使用

主に港区中心に遊んでる姿が確認されていた芸能人らですね。

港区で正業を成功させていた川奈さんと関連付けされてしまうのも無理はなさそうです。

特に押尾学さんは都内でチーマーをしていた時期があったことから、若い頃から川奈さんと親交を持ち、そのような関係になったと想像されてしまうのは無理もありません。

ちなみに三田佳子さんの息子の高橋裕也さんは、2000年に関東連合メンバーが起こした「トーヨーボール事件」で、車の名義から交友関係が発覚しています。

トーヨーボール事件については別記事に詳細を書いています。

トーヨーボウル事件の全貌。全狂連と関東連合の抗争。人違いの被害者の素顔
全盛期の関東連合を語る上で欠かせない「トーヨーボウル事件」。 2000年5月13日に東京都大田区池上に存在したボウリング場「トーヨーボウル」(現在は閉店)の駐車場で、ダンスの練習をしていた集団が関東連合に襲われた事件です。 関東連合は集団を...

仮に川奈さんが関与していたとしたら、20年以上もずっとその関係で捕まらないのは不自然過ぎますね。

川奈さんが芸能界に薬物をばら撒いてるというのは、さすがに都市伝説だと思われます。

広末涼子と灰皿事件や北川景子との都市伝説

一時期、ネット界隈でよく噂された広末涼子さんと関東連合の関係。

00年代に広末涼子さんが関東連合メンバーが入り浸るお店に通い、そこで悪い遊びを覚え、お店で灰皿で良くないことをしたとの都市伝説がありました。

広末涼子さんの元旦那は新宿ジャッカスの創立メンバーで、共に立ち上げた金村氏は2008年に「西新宿事件」の被害者になったという縁があります。

金村氏と西新宿事件の詳細は別に書いています。

西新宿事件の被害者・金村剛弘に衝撃の事実?犯人と木村兄弟の関係
金村剛弘さんといえば、2008年に起きた「西新宿事件」の被害者です。 事件の詳細が明るみになった後、ネット上を中心にアウトロー界隈で有名な方であることが広がりました。 鍛え抜かれた強靭な体に、「何者なの!?」と気になった方も多いと思います。...

広末さんの灰皿事件は、川奈さんの影響で起きたと言われています。

また、芸能界との縁が強かった影響で、当時の人気女優・北川景子さんと良い関係だったという説もありました。

「六本木の帝王」としての川奈毅。人気クラブ「フェリア」を経営し「朝青龍事件」を起こす

川奈毅さんは六本木にあった人気店「フェリア」の経営者として有名でした。

「フェリア」は3階建てのビルに、地下一階から3階まで音楽が楽しめるクラブが入る大箱です。

VIPルームはもちろん、レストランやスカイバーも備える大人の遊園地のようなお店でした。

芸能人や、海外の方が多く来店していた人気店で、川奈さんの人脈の広さもここで培われたと言われています。

2010年の朝青龍事件の舞台も、この「フェリア」でした。

朝青龍事件の詳細は別記事に書いてあります。

朝青龍事件の真相。関東連合の川名を殴り引退。ケツモチ同士が喧嘩?
朝青龍といえば、2000年代に活躍した歴代最強とも言われる力士です。 2010年1月に30歳の若さで突然引退を発表すると、その経緯に注目が集まりました。 私生活の素行が問題での引退となりましたが、決定打となった暴行事件は話が複雑で、未だにハ...

朝青龍さんは出禁を言い渡されたことに激昂したとのことなので、よほどお店のことが気に入っていたのでしょう。

「朝青龍事件」では、示談金や引退を巡って相手のタニマチと揉め、一時期は港区から姿を消したこともありました。

現在の川奈毅。フェリアは閉店し傷害事件を起こすも順調?

川奈毅さんの代名詞ともいえた「フェリア」でしたが、2015年頃に閉店してしまったそうです。

そして、同じ時期の2015年に、川奈さんは強盗容疑で逮捕されています。

川奈さんはお酒に酔った状態で、早朝にタクシーに乗車。

そして、そのタクシー内にて、

「何でこんなにカネ持ってるんだ」

と60代半ばの運転手を揶揄い、胸ポケットから現金3万5000円を抜き取るなどちょっかいを出したそうです。

遊びのつもりだったようですが、運転手が取り戻そうとした際、川奈さんは顔面を殴ってしまい、結果的に”強盗容疑”で逮捕となりました。

運転手とは示談が成立しており、大ごとには至っていません。

ちなみに逮捕報道の際の川奈さんは『暴走族「関東連合」元リーダーで職業不詳の川名毅(川奈毅。44)容疑者』とのこと。

逮捕された2015年の時点で、飲食店の経営者という身分ではなくなっていたことが分かっています。

川奈毅は現在も裏オーナーとして都内で活躍?

その後の川奈さんの名前をメディアや雑誌で聞くことはなくなりましたが、現在でも港区中心に目撃情報はあります。

自宅に帰らずに六本木のホテルで寝泊まりしてること、グランドハイアットで外人と商談をしていたなど。

川奈さんは現在でも裏オーナーのような形で、後輩に仕切らせ都内で多くの飲食店を経営されてるそうです。

また、その活動範囲は都内に留まらず、全国で経済活動をしてる可能性があるそうです。

ちなみにタクシー事件の時には外人を同伴しており、その外人は海外の方との商談で一緒にい他という噂もあります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました